はるなクリニック

阪神大震災から27年

今日は阪神大震災から27年目の年になります。

毎年、1月17日に流れるニュースに私の心は痛みます。

27年前、私たち家族は神戸に住んでました。

そこで震災に遭遇。

早朝ということもあり、寝ているときに突然、大きな縦揺れから横揺れに変わりました。マンションの上の方に住んでたので揺れは大きかったです。

今までにない揺れに思わず3歳の娘の上に覆いかぶさりました。

寝室には寝具以外はほとんど家具を置いてなかったので揺れがおさまると院長と3人で少しボーっとしてました。

その後、寝室から出たとたんに他の部屋が全てとんでもないことになってることに気が付き、事の重大さを意識しました。

食器は飛び散り、食器の山でキッチンのドアは引っ掛かり入れない、和ダンスは倒れ、父に買ってもらったばかりのテレビは1メートル近く飛んでました。

部屋は足の踏み場もないくらいにものが壊れて散乱してました。

早朝でなければ娘が和ダンスの前で昼寝していただろうし、時間帯によってはテレビを見ていたかもしれません。

私がキチンにいたら食器棚に挟まり動けなくなっていたでしょう。娘を助けることもできません。

ぞっとしました。

その後、ここでは生活できないと思い、冷凍庫に保存していた食材と水を持って車で大阪の実家まで帰りましたが、普段1時間以内でつくところが17時間かかりました。

周りは崩壊した建物だらけで余震がきたら倒れ掛かってくるような電柱もありました。他の人たちも脱出をしていたので大渋滞だったのです。

実家につくまでは、とにかく娘を怖がれせないようにということと私が妊娠9か月近かったので産気づかないようにとそのことばかり考えてました。

何とか実家につきその後、長男を無事出産でき、私たちは命を救われました。ストレスで胎便混じりの羊水を破水はしましたが、、、。

少し時間を間違えるととんでもないことになっていたのです。

震災が来るまでは近畿では大きな地震は来ないと言われていて、それを何の疑いもなく信じていた私だったのです。

日本は地震大国なのにね。

それからはこれを教訓に極力物の置き方には気を付けるようにしました。

物は地震が来ると動くんです、凶器にもなります。それを想定して皆様も家具の固定や物の置き方を考えましょう。

奇跡的に助かった命、大事に生きていこうと思いました。

ニュースからは必ず「幸せ運べるように」の歌が流れます。

娘が小学校に入ると毎年歌っていたその歌を聞くたびに涙が出ます。

私たちより大変な思いをされた方々のことが思いやられるからです。何年たってもこの気持ちは変わりません。

阪神大震災のことはいつまでも忘れてはいけないことだと思います。勿論、他の災害に関しても同様ですが。

この日は自然と神戸の方に向かって手を合わせます。震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするために。

これからも自分の命を大切に生きていきたいと思っている毎日です。

と同時に患者様の命も大切に私にできる限りの診療をこれからも続けていきたいと思ってます。

今はコロナウイルスで大変ですが、必ず終息する時が来ますので今できることをしていきましょう。

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